たかがスピリチュアル、されどスピリチュアル

スピリチュアルなんて…と思っていた筆者によるスピリチュアルブログ。

いつも悔しい思いをしてしまうのは何故?

こんばんは。


何故かいつも大事な選択をする時


強い後悔をしてしまう。


決定するのが怖くて、避けてしまう。


何を選んでも、やっぱりあっちが良かった…。


こんなばかな選択をするなんて、自分ななんてばかなんだろう。


自分で選んだことなのに……


私は、責任感がないのかな?


私は、我儘なのかな?


いつも、こうすればよかったのか、と自省し、次はと思うのに、


いつも納得の行く選択ができない……。


こんな思いを抱えてる時。


これは、慢性的なエネルギー不全です。


エネルギーが、ないのです。


エネルギーがないのに、エネルギーを要する決定を求められる。


何かを選び決断するというのは



ものすごいエネルギーを要するのです。


判断力、冷静な精神状態が必要な訳です。


何か大切な決定を何の後悔もなく行う


何の精神的圧迫も感じないで行うのは、だれにとっても難しいのです。


そして、エネルギーのない状態というのは、人並み以上に失敗やネガティビティーに敏感な状態。


適当に決定して、それに後悔もしないような精神状態とは


自分の失敗に鈍感になっている状態です。


エネルギーのない状態で何かを決定するということは



人並み以上にネガティブに敏感になっている

それを自分のせいだと思いやすい状態です。



このような精神状態が慢性化している場合、


何か重大な決定をするのが嫌


責任を取るのが嫌


という意識状態になります。


なので、本当にしたいことはできません。


人生というのは、本当にしたいことほど


責任と覚悟が必要になる場合が多いからです。


それらを回避する傾向を持ってしまうのです。



勇気を出して何かを決定しても選択しなれていない訳ですから


判断基準が存在しません。


後悔のない決定というのは、


繰り返し作業の中で上手くなって行きます。


決定する機会を怖れて避けていると、


納得の行く決定というのはなかなか行えないのです。


納得の行く決定力を養うには、


積極的に何かを選んで行く機会を持つ必要があります。


直感は、選択という体験の中で養われるものです。


もう一つ。



エネルギー不全の時は、大切な決定を避ける


これも大人の世界では常識と言えるでしょう。


いつも納得の行く決定ができない人というのは


悪いコンディションの中で


何かに急かされるように決定する


ということが多いのではないでしょうか?



いまは、時が悪いから決断を送らせよう……。


こういう冷静な選択肢を用意しておくのも、良い選択を行う上で大切でしょう。


とはいえ、これらは理屈です。


理屈とは言葉です。


言葉とは個人の精神に効果的に組み込まれて初めて現実的役割を果たします。


人の言葉を信じて行動するのに、何か上手く行かない。


こういう場合は、精神的自立を果たせていないのです。


精神とは

感覚+自己決定です。


自己決定は意識とも言えるでしょう。


自己決定とは、責任をともなった決定です。


他人に責任を肩代わりしてもらえるような場合は、自己決定とは言えない訳です。


人は危機を感じた場合に賢くなる特性を持っています。


自分が危険を感じた時、自分で自分を守った時、初めて直感というものが養われるのです。


言い換えれば、責任を持たせてもらえない人


自分が責任を取らないといけない場面でいつも甘やかす人が登場する人生を生きている人は


良い決定を行えない傾向にあると言えるでしょう。


逆に自分の責任ではないものを、

あたかも自分の責任のように他人から押し付けられている人も、


納得の行く決定はできません。



では一体、どんな精神状態であれば、直感は養われるのか?



自分の責任領域を正確に認識し



精神状態が安定してる場合



この条件が必要になるのです。



ここで語られていることは、
簡単なことではない訳ですが


(他者との共依存状態の強い人ほど脱するのは至難の業になるでしょう)


しかし、簡単ではないために



重要になる訳です。



基本的な条項の欠けた状態で


いくら納得の行く選択を行えるようになりたいと願っても


基本的なことを解決しない限りは、根本は変わらないのです。


天然石のブレスレットをつけても


神社に悪い霊を祓いに行っても



自分が変わるという決断以上の効果は現れないのです。